在NYの木村君が、↓で書いていた平成元年卒さんの東京総会企画のPDFを送ってくれました。 「World Wide 館歌」という面白い企画。 平成元年卒さん、頑張ってます。熱いです。2年後が楽しみですねー。 PDFはこちらからどうぞ←クリック 返信
平成元年卒の企画書であるPDFファイルを添付するためのボタンを押したのですが、この掲示板には載らないようでした。 すんませんでした。 なお、この企画は今年(2015年)の東京修猷同窓会で披露されるそうです。 木村友喜 返信
61会の皆様へ 木村友喜です。 2月20日付けの一斉メール配信で斉田康隆(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)ならびに同日付のキャラバン掲示板で坂口大司(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)が「ありがとう」や「えらい、プラス絵文字」と言ってくれているが、自分は大したことやっていませんので。 坂口大司(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)もどこかで書いていたが、今いる自分の状況で、今いる自分のできることを探して、今いる自分ができることをやった、というただそれだけのことだから。 坂口大司(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)が言っていたことをやった、ということですから(笑)。 話変わります。 こちらでは米国修猷会というものがありまして、会員登録者に一斉メール配信として添付のものが先日転送されてきました(興味のある方は見てみてください)。 平成元年卒のこの企画には色々な効果をもたらす要素が含まれていると私は思いますがその話は横に置いておいて、私は彼らの採った行動には61会の今の我々に示唆してくれるものがあると考えます。 それを「シェア」という言葉と「直接じゃなくても」という言葉を軸にして以下に書きます。 IT社会と呼ばれる現代はどこでもかしこでもインターネットで繋がっており、何か知りたいことがあれば分厚くて重い百科辞典などのようなものを直接手にしなくてもグーグルサーチすれば、パッと情報をゲットできます。 情報がシェアされているってことですか。 便利なものです。 その他にもメールアドレスを知っている友人からはメールがやって来てそのお返しとして返信すれば会って話すよりも(直接会わなくても)手っ取り早くcommunicationを取ることができます。 この2者間でもcommunicationという形で情報がシェアされている、ということかな。 前置きはいいけん何や!、ということですが、言いたい事は我々もこのシステムを使わない?ってことです。具体的には、皆さんの作製した 1.「好いとう!修猷」の総会案内パンフレット 2.「総会記念品グッズ」のチラシ のPDFファイルを別の卒年や支部会の登録者に配信してもらう、ということはどうだろう? “総会が行われるという事実”と“あの多彩なグッズ”、その両方が今よりも多くのひとの目に留まるということになると想像するが。 それぞれの集団(卒年の会や支部会)に加盟しているひとたちの中で会に出席するひとの集団数より登録者の集団数の方が多いはずだろうし、そうだと仮定したら多数の集団を対象にすれば人数を集める(お金を集めることも?)確率は増えることが予想されるのではないだろうか。 また、ひとの目に入る(または入れる)という機会を作ることをすれば、目に入る機会を与えられたひとがその情報を別の人にメールしてさらに情報をシェアする輪が拡がる可能性が産まれるものな。 元年卒が採ったこのアクションはそういうことをやっているのではないだろうか。 前回のキャラバン掲示板にて報告させてもらったように皆の作製したパンフレットとチラシは内容の出来栄えならびにグッズの多彩さにおいて大好評でした。 実際のところ出席者はグッズを欲しがっていました。 このパンフレットとチラシを直接会わないひとたちともシェアするのはどうだろう? シェアする価値のあるものということは実際に手にした会員の皆さんの反応が既に証明しているでしょう。 と私は思うが、 みんなはどう思う? 外野のくせにガタガタぬかしてすんません。 だけど、最後まで読んでくれてありがとうございます。 いつだったか、伊藤隆宏(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)が「木村の日本語おかしい」とかぬかして、「なん言いよんか!」て笑いながら言い合いしたけど、伊藤隆宏(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)に言わせるところの日本語おかしいやつが日本語長々と書くと疲れたのでここでやめます(笑)。 じゃあ。 みんな、頑張ってな。 木村友喜 返信
在NYの木村君が、↓で書いていた平成元年卒さんの東京総会企画のPDFを送ってくれました。
「World Wide 館歌」という面白い企画。
平成元年卒さん、頑張ってます。熱いです。2年後が楽しみですねー。
PDFはこちらからどうぞ←クリック
平成元年卒の企画書であるPDFファイルを添付するためのボタンを押したのですが、この掲示板には載らないようでした。
すんませんでした。
なお、この企画は今年(2015年)の東京修猷同窓会で披露されるそうです。
木村友喜
61会の皆様へ
木村友喜です。
2月20日付けの一斉メール配信で斉田康隆(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)ならびに同日付のキャラバン掲示板で坂口大司(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)が「ありがとう」や「えらい、プラス絵文字」と言ってくれているが、自分は大したことやっていませんので。
坂口大司(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)もどこかで書いていたが、今いる自分の状況で、今いる自分のできることを探して、今いる自分ができることをやった、というただそれだけのことだから。
坂口大司(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)が言っていたことをやった、ということですから(笑)。
話変わります。
こちらでは米国修猷会というものがありまして、会員登録者に一斉メール配信として添付のものが先日転送されてきました(興味のある方は見てみてください)。
平成元年卒のこの企画には色々な効果をもたらす要素が含まれていると私は思いますがその話は横に置いておいて、私は彼らの採った行動には61会の今の我々に示唆してくれるものがあると考えます。
それを「シェア」という言葉と「直接じゃなくても」という言葉を軸にして以下に書きます。
IT社会と呼ばれる現代はどこでもかしこでもインターネットで繋がっており、何か知りたいことがあれば分厚くて重い百科辞典などのようなものを直接手にしなくてもグーグルサーチすれば、パッと情報をゲットできます。
情報がシェアされているってことですか。
便利なものです。
その他にもメールアドレスを知っている友人からはメールがやって来てそのお返しとして返信すれば会って話すよりも(直接会わなくても)手っ取り早くcommunicationを取ることができます。
この2者間でもcommunicationという形で情報がシェアされている、ということかな。
前置きはいいけん何や!、ということですが、言いたい事は我々もこのシステムを使わない?ってことです。具体的には、皆さんの作製した
1.「好いとう!修猷」の総会案内パンフレット
2.「総会記念品グッズ」のチラシ
のPDFファイルを別の卒年や支部会の登録者に配信してもらう、ということはどうだろう?
“総会が行われるという事実”と“あの多彩なグッズ”、その両方が今よりも多くのひとの目に留まるということになると想像するが。
それぞれの集団(卒年の会や支部会)に加盟しているひとたちの中で会に出席するひとの集団数より登録者の集団数の方が多いはずだろうし、そうだと仮定したら多数の集団を対象にすれば人数を集める(お金を集めることも?)確率は増えることが予想されるのではないだろうか。
また、ひとの目に入る(または入れる)という機会を作ることをすれば、目に入る機会を与えられたひとがその情報を別の人にメールしてさらに情報をシェアする輪が拡がる可能性が産まれるものな。
元年卒が採ったこのアクションはそういうことをやっているのではないだろうか。
前回のキャラバン掲示板にて報告させてもらったように皆の作製したパンフレットとチラシは内容の出来栄えならびにグッズの多彩さにおいて大好評でした。
実際のところ出席者はグッズを欲しがっていました。
このパンフレットとチラシを直接会わないひとたちともシェアするのはどうだろう?
シェアする価値のあるものということは実際に手にした会員の皆さんの反応が既に証明しているでしょう。
と私は思うが、
みんなはどう思う?
外野のくせにガタガタぬかしてすんません。
だけど、最後まで読んでくれてありがとうございます。
いつだったか、伊藤隆宏(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)が「木村の日本語おかしい」とかぬかして、「なん言いよんか!」て笑いながら言い合いしたけど、伊藤隆宏(あの頃の呼び方でフルネームで呼んでるけど)に言わせるところの日本語おかしいやつが日本語長々と書くと疲れたのでここでやめます(笑)。
じゃあ。
みんな、頑張ってな。
木村友喜
木村。。。。。えらいm(_ _)m